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正善院

日蓮宗 身延山
夫婦池 能勢 妙見宮

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大阪市北区にある日蓮宗正善院は、日蓮大聖人御降誕の地、千葉県小湊、大本山 誕生寺 直末寺で、大阪 能勢領主第三十四代能勢頼萬公の紹願により能勢妙見大菩薩を拝戴しお祭りしています。
能勢のお殿様が居られたお寺で、明治以降一般の方々も参詣する事となり、「女夫池(めおといけ)の妙見さん」と親しまれてます。

お知らせ

年回忌法要、永代納骨供養、厄除け開運ご祈祷、水子供養等、仏事のご相談を宗派を問わずに、おたずね下さい。

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詳細情報

 正善院は、日蓮大聖人御降誕の地、日蓮宗 大本山 誕生寺 直末寺である。慶長13年(1608)梅ヶ辻(大阪市中央区谷町九周辺)で創建され、後に北区寺町へ移転した。
 明治30年(1897)大阪能勢の領主、第34代能勢頼萬公の紹願により能勢家天満屋敷妙見堂(大阪市北区、当院)へ移転した。
  尚、能勢家とは、関ケ原の戦いの勲功により幕府の要職を歴任、活躍した近畿地方の徳川家旗本である。

  能勢家第32代頼功公の時 天保の飢饉となり、天保年8年(1837)には大阪で元天満与力 大塩平八郎が乱をおこすなど幕府の威光は衰えを見せていた。
  翌9年(1838)世情急変を考えた頼功公は、長男頼富と共に大阪天満の夫婦池跡地に能勢領主の天満屋敷(現在 正善院)を建立、その邸内に妙見堂を建て、能勢妙見山の御霊像を法華勧請した。
  天保13年(1842)、20才の若さで家督を継いだ第33代頼富公は、14代将軍徳川家茂公(大阪城に来阪)に仕えるため、本拠を天満屋敷においた。
  元治元年正月(1864)頼富公は、幕府命により警衛京師となり、7月にその功労(蛤御門の変)によって、従五位日向守能勢頼富に叙任せられた。
 慶応3年(1867)朝命を召拝し護京師となり、翌4年(1868)鳥羽伏見の戦いでは御所の警護に当たり、同年5月その功により朝臣(あそん)として天皇より能勢の領地を賜る。
  明治2年(1869)明治天皇の御東遷に際しお供として行幸に参加、翌3年(1870)には版籍奉還し、能勢の地は大阪府に編入された。
  頼富公の人生は誠に苦難心労の多いものであったが、妙見大菩薩のご加護により明治9年(1876)天満屋敷の地(現在・正善院)に於いて、心安らかに55歳の生涯を閉じられた。

 「摂津名所図絵大成巻12」安政二年(1855)~暁鐘成(あかつきのかねなる)は、『池をうづみて平地となり ここに能勢候の邸を建てられ門内の傍に妙見堂を勧請あり これはすなわち摂州能勢郡野間村妙見山の本尊同体の霊像にましませば応験わけて新たなりとて 貴賎すべて詣でて晴雨ともに間断なし ことさら午の日は御縁日なりとて詣人郡をなし 夜店の商人など多く出でていとにぎはし』と、当時の様子を述べている。

文化・芸術◎勝海舟◎森琴石「大阪名所独案内」◎浪華百景 第15図「北妙見堤」◎摂津名所図会(安政二年)◎浪華の賑ひ(安政二年)
◎近松門左衛門「後太平記四十八巻目津国女夫池」(亨保6年)浄瑠璃
◎「芦分船」巻6(延宝三年刊)◎摂陽郡談◎浪華百時談◎北大阪の七福神巡り(福禄寿)

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