武将達、また剣豪塚原卜伝、千葉周作をはじめとする
多くの武道家達の篤い崇敬を受け、
武道修行の人々は香取大神を祖神と崇めていた。
このような由来から、亀戸香取神社は
「スポーツ振興の神」として、
スポーツ大会・試合の勝利を願う多くの参拝者が訪れ篤い祈りを奉げている。
【御由緒】
当社の創設は天智天皇4年(665)、藤原鎌足公が東国下向の際、この亀の島に船を寄せられ、香取大神を勧請され太刀一振を納め、旅の安泰を祈り神徳を仰ぎ奉りましたのが創立の起因であります。天慶の昔平将門が乱を起した時、追討使俵藤太秀郷が当社に参籠し戦勝を祈願して戦いに臨んだところ、目出度く乱を平らげたので神恩感謝の奉賽として弓矢を奉納、勝矢と命名されました。現在でもこの古事により勝矢祭が5月5日に執り行われております。以来、益々土民の崇敬が篤く郷土の守護神というばかりでなく、ご神徳が四方に及びましたので、葛飾神社香取太神宮と称え奉るに至りました。(当時の葛飾は下総国の大半を意味します。)元禄10年検地の節は改めて社寺の下附があり、徳川家の社寺帳にも載せられ古都古跡12社の中にも数えられています。
■香取神社奉納刀七振(江東区有形民族文化財)
香取神社に代々伝えられてきた奉納刀。
本社である千葉県の香取神宮、茨城県の鹿島神宮と並び、武士の神として信仰を集めていたことにより奉納されたものである。銘文のある刀のうち、「陸奥會津住道長」は、寛文・延宝期(1661~80)に活躍した刀工、三善道長の可能性がある。こしらえはさほどではないが、貴重な作例である。また、「備州住兼光」銘の短刀は、有名な備前長船派の名刀工、兼光を模したものと推定されている。
【御末社】
天祖神社(入神明宮)
御祭神:天照大御神(あまてらすおおみかみ 伊勢神宮の御内宮)
弥生式土垂
江東区有形文化財(考古資料)
稲足神社
御祭神:面足神(おもだるのかみ)
惶根神(かしこねのかみ)
福神社
御祭神:事代主神(恵毘寿神 えびすしん)
大国主神(大国神 だいこくしん)
熊野神社
御祭神:家津御子大神(けつみこのおおかみ)
ほか天神地祇十三柱
三峯神社
御祭神:国常立命(くにとこだち) 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
伊弉冉尊(いざなみのみこと) 日本武尊(やまとたけるのみこと)
水神社
御祭神:水波能女神(みずはのめのかみ)
◆毎月多くの年間祭事が予定されています
毎年5月5日に行われる『勝矢祭』は、特に大きな行事であり、毎年数万人の見物客が訪れます。
年越しの『除夜祭』も1年の締め括りである大切な行事であるといえます。