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ナゴジ

那古寺

第三十三番 補陀洛山那古寺 (那古観音)真言宗智山派

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  • 第三十三番 補陀洛山那古寺
補陀洛は よそにはあらじ 那古の寺 岸うつ浪を 見るにつけても

イチオシ情報

里見氏一族とのかかわり
源頼朝がこのご本尊に帰依して七堂伽藍を建立、 また関東公方足利氏・里見氏もあつい信仰を捧げた。 特に当山第21世の別当は里見義秀であり、23世は里見の熊石丸であるなど里見氏との深い 関係で寺勢は大いに伸張した。徳川家康の頃には 鶴谷八幡宮の別当を兼ね、末寺十五ヶ寺、駕籠側 八人衆、三百石を領する大寺となった。寺宝の僧 形八幡大画像は当山の隆盛を今に伝えている。

  • 多宝塔多宝塔
  • 参道から観音堂を望む参道から観音堂を望む
  • 観音補陀洛淨土観音補陀洛淨土

詳細情報

観音補陀洛淨土

坂東三十三札所の「総納札所」である郡古寺は、 房総半島南端の館山市、その市街から少しはずれた郡古山の中腹にある。この山はスダシイ、タブ ノキ、ヤプニッケイ、ヤブツバキ、ヒメユズリ混 生の自然林におおわれている。『郡古寺縁起』に「この山は是れ補陀洛山と称すべし、而して観音影向の地なり」とあるとおり、鏡ヵ浦を俯瞰し、海上の交通者を守りたもう観音さまのお住まいとしての条件をここは充分に備えている。奈良朝末期に日光山が観音のお浄土補陀洛と考えられていたことは、弘法大師の詩文によって明らかである。その頃から関東に補陀洛信仰が取り入れられひろまったのであろう。江戸時代までは観音堂のすぐ足もとまで浦の波が打ち寄せていたという。ご詠歌に「岸うつ波を見るにつけても」とあるのが往 時を想いおこさせる。この明媚な風光はこれまで に幾多の巡礼者の心を澄ませてきたことか。しかも、ここが結願の札所、満願の喜びと共に巡礼がそれぞれの感慨を抱く霊場である。

『那古寺縁起』に元正天皇の養老元年(717)天皇の御悩平癒のため、僧行基が老翁の告げによ り、ここの海中より香木を得て千手像を刻み、祈念したところ、直ちに効験あり、勅願によって山上に伽藍が建てられたとある。因みに行基作と伝える千手観音さまのお像は専門家の推定では、藤原期の華麗な特長を具えているといわれる。樟造で補修部分は桧材であるそうだ。今、山上の古屋 敷と呼ばれているのがその遺跡である。のちに慈覚大師が止住せられ、さらに正治年間(1199 ~1201)秀円上人に至って真言密教の霊場となったのである。

俗に裏坂と呼ばれるゆるい勾配の参道を進み、まず仁王門をくぐる。そして石畳の参道を藤原期の作と伝える木造阿弥陀如来の座像を祀る阿弥陀堂を拝しながらさらに行くと、多宝塔が建っている。宝暦11年(1761)住僧憲長が伊勢屋甚右衛門らと力を合わせ、万人講を組織、勧進して建てたものである。

下層四面に切目棟をめぐらせて、和様勾欄を配した姿は見事であるが、その施工者が地元那古寺及び周辺の大工であったことが注目されている。定型を守りながら新しい様式を取り入れているあたり、棟梁はなかなか意欲的である。
やがて朱塗り本瓦葺きの本堂が八間の奥行きも堂々とその側面を現わす。表参道からならすぐ入堂できるが、この道からは数段の石段を上り左に廻って正面に出る。観音堂の御拝には老中松平定信の揮もうによる「円通閣」の額がかかっている。

●主な法要行事  除夜初詣 節分会 星祭 灌仏会 7月18日観音祭礼(夏祭り)  8月9日四万六千日 10月大施餓鬼会

●付近の名所旧跡  市内船形の崖観音 館山城

●宿泊施設  民宿つのだ

●拝観料  無料

●納経時間  午前8時~午後5時
  • この山は自然林におおわれている。この山は自然林におおわれている。
  • 感慨を抱く霊場である。感慨を抱く霊場である。
  • お観音さまのお慈悲はど有難いものはございません。お観音さまのお慈悲はど有難いものはございません。

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