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常楽寺

川越景観百選 河越舘史跡公園
東武東上線 霞ヶ関駅北口15分

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049-231-1016

河越山三芳野院 常楽寺
川越市の川越景観百選に選ばれた常楽寺
「川越」の名前の由来でもある河越氏の舘跡の一角にあるお寺です。
裏手に、国指定史跡の「河越舘跡史跡公園」が広がっています。
東武東上線霞ケ関駅北口(案内板有)から徒歩約15分。

お知らせ

◎常楽寺は、平安時代末~南北朝時代(約200年間)に、武蔵国(関東)で大きな勢力を誇った河越氏の舘跡の一角にあるお寺。
寺の真裏には河越舘跡史跡公園が有り遺構を見ることができます。この寺は河越舘の敷地内にあった持仏堂から発展したと言われています。
古くは淨興密寺と称し密教のお寺。それが700年前の鎌倉時代後期に常楽寺に改称され今に至っています

◎秋お彼岸会 彼岸会

◎3月下旬~4月第一週目がしだれ桜の見頃

  • 常楽寺本尊仏常楽寺本尊仏
  • 遊行三祖・智徳上人遊行三祖・智徳上人
  • 一遍上人一遍上人

詳細情報

時宗 河越山三芳野院 常楽寺

河越山三芳野院常楽寺
常楽寺は、国指定史跡「河越舘跡」の中にあります。「河越氏」の持仏堂を基とする「淨興密寺」と呼ばれた密教の寺が、嘉元三年(1305年)この地方を巡錫された「遊行三祖・智得上人」を開山上人として迎えて「時宗・常楽寺」と改めたと伝えられています。河越氏七代目「宗重」の代にあたります。 以来七百有余年、念仏弘通の「三芳野道場」として法灯が相続されてきました。
 山号の「河越」は地名から、院号の「三芳野」は伊勢物語に、
『むさしの國 いるまのこほり みよしのゝ里なり』と書かれた、この辺り一帯の呼び名からつけられました。
 現在の本堂は、平成十六年十二月に、常楽寺開山七百年記念事業として新築されました。ご本山は藤沢市の清浄光寺(遊行寺)です。
※持仏堂とは、その人が信仰し礼拝する仏像を祀っておく建物のことです。

「時宗」
 今から七百三十年ほど前「一遍上人」が開かれた念仏宗です。
平安から鎌倉時代にかけて飢餓や度重なる戦によって人々は不安を抱え生活しておりました。人々の願いに応えるように、やさしく、分りやすい教えが生まれました。そうした時代に生まれた宗派です。

常楽寺本尊仏
阿弥陀如来です。時宗では、阿弥陀如来のお名前を「南無阿弥陀仏」とお唱えし、これを「六字名號」と云います。
阿弥陀如来の左手(向かって右側)には観音菩薩、右手(向かって左側)には大勢至菩薩が脇侍として祀られています。又、本堂の左手の脇壇には、釈迦三尊を中心にして、四天王・地蔵菩薩・龍樹菩・十六羅漢の二十五躰の像が祀られています。

表門
切妻造の四脚門で、口伝に依れば左甚五郎の手によるものとされています。境内で一番古い建物、十八世紀前期の建築と推察。

山門(鐘楼門)
この門は川越城の城将「大道寺政繁」の子孫・道順入道が寄進し、天明8年(1788/江戸時代中期)に再建されたもので、左右に金剛力士(仁王様)を安置しています。

観音堂
昭和六十一年改築、堂内に重一面観音菩薩を安置しています。
お開帳は八月十日の夜で、無病息災を念じたお団子が配られます。

国指定史跡「河越舘跡」
常楽寺境内及び其の西方に現存する土塁に囲まれた地は
昭和59年に「河越舘跡」として国指定史跡となりました。

河越重頼、源義経・京姫の供養塔
境内には、河越重頼、源義経・京姫の供養等が建てられています。
河越重頼:平安時代末期にこの地で実力を持っていた武将で、
河越氏の歴史で最も勢力が強い時代をつくった。
京姫:河越重頼の娘で、源義経に嫁ぎ正妻となった。
源義経源頼朝の異母弟で、牛若丸として知られている。

【年中行事】
五月 八日 釈尊降誕会
七月・八月 孟蘭盆会
八月 七日 大施餓鬼会
八月 十日 観音堂お開帳
十二月三十一日 除夜の鐘

春・秋お彼岸 彼岸会

◎3月下旬~4月第一週目がしだれ桜
見頃です。

※お近くへお越しの際はお立ち寄りください。

  • 釈迦如来を中心に四天王と十六羅漢釈迦如来を中心に四天王と十六羅漢
  • 山門(鐘楼門)山門(鐘楼門)
  • 河越氏供養塔河越氏供養塔

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